芳村真理が語る西城秀樹初伝説とは?現在動脈瘤、脳梗塞共に闘病!


5月19日放送の「金曜日のスマイルたちへ」に芳村真理さんが出演されていましたね。そして70年代のスーパースター、ヒデキこと西城秀樹さんと30年ぶりの再会を果たしました。

芳村真理さんによると、「ヒデキ」は日本の芸能界日本初のことを多く取り入れたパイオニアなのだそうです。

あまり語られたことのない西城秀樹さんの芸能界での功績をまとめました。画像引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/





芳村真理さんの思い

 

芳村真理さんは西城秀樹さんの伝説を今の人にも知ってもらいたい。

そして30年ぶりに再会したいとの願いを「金スマ」へリクエストしました。

 

芳村真理さんは西城秀樹さんの活躍を少し年上の立場から冷静に見てこられた方なんですよね。

そして、「ヒデキがいたからあの頃、音楽番組があれだけ華やかな動きのある情熱的が画面に変わったんじゃないかな。」

「ヒデキがいなかったら今の歌番組はない!」

とまで言い切るほど高く評価しています。

 

番組では芳村真理さん、愛着をこめて西城秀樹さんを「ヒデキ」と呼んでいました。

 

 

西城秀樹さんは1972年、17歳の頃 「恋する季節」で歌手デビューしました。

西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんは、新御三家と呼ばれトップアイドルとして当時絶大な人気を誇りました。

「アイドル」という人達が続々と出始めるきっかけだったと思います。

と芳村真理さんは語ります。

 

中でも西城秀樹さんは、日本の芸能界に日本初のことを多く取り入れたのだそうです。

 



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ヒデキ3つの日本初!

 

① アクション

ヒデキの代名詞となっていく演出方法が「アクション」です。

その「アクション」を取り入れた曲が1972年の「チャンスは一度」です。

 

歌い出しから両腕を大きく何度も振ってアクションを取り入れる斬新な歌い方。

昔は歌はマイクの前でまっすぐ立って歌うのが当たり前の時代だったんですよね。

そんな激しく踊っていたら【良い歌】が歌えるわけがないと、嫌厭する人も多かったのです。

歌は歌、踊りは踊りだったんですね。

当時は振り付けをする歌手はほとんどいませんでした。

 

そんな中、郷ひろみさん、野口五郎さんとは別の特徴を取り入れるため見つけ出した答えが「アクション」だったのです。

このアクションが70年代後半にピンクレディーなどに受け継がれ、アクションブームが巻き起こります。

 

歌いながらアクションといえば、私にはピンクレディーというイメージでしたが、開拓者は西城秀樹さんだったんですね。

何度も言いますが、当時のオトナ達はこのアクションを取り入れた歌謡曲を邪道だと言わんばかりに嫌う人も多かったのです。

いつの時代も「今時の若いものは・・」となかなか若者文化は受け入れられないんですよねぇ(x_x)

 

演歌のように歌に集中するという常識をぶち破ったのがまさに「ヒデキ」です!

でも考えたらハデな曲を歌うなら自然と体が踊り出すのは当たりまえですよね。

そのごく自然なことではあるのですが、それを最初にやったから革命的だったんでしょうね。

 

「アクション」の登場はテレビの歴史を大きく変えました。

マイケル・ジャクソンがダンスの歴史を変えたとよく言われますが、日本で歌謡界を変えたのは確かにヒデキなのかもしれません。

 

【聴く音楽】から【観る音楽】へと時代が大きく変わるきっかけとなりました。

 

 

② マイクパフォーマンス

今ではロック歌手が当たり前のように行っているマイクパフォーマンス。

それをヒデキが初めて取り入れた曲が1974年「薔薇の鎖」です。

 

西城秀樹さん、マイクスタンドを軽々と大胆に振り回します。

近くにいたら危ないレベルの振り回し方です。

 

この曲で西城秀樹さんが使っているマイクスタンドはアルミで軽量化された特注品で、わざわざ海外から取り寄せたものなのだそうです。

マイクパフォーマンスっていつの間にか派手になっていったというよりは、意図的に確信犯的にヒデキが振り回すことにしたんですね。

 

こういうのって会議とかで決めるんでしょうか?

「今度はスタンドマイクを振り回したらどうかね?」

とかいう具合に・・・^^;

 

マイクパフォーマンスは当時の子ども達には大ウケ!

ホウキをマイク代わりに振り回す子達が続出しました。

 

当時のオトナ達は結構迷惑だったことでしょう(;´Д`)

 

 

③ 観客参加型パフォーマンス

西城秀樹さん最大のヒット曲「ヤングマン」。

この「ヤングマン」では大人でも子供でも誰でも踊れる簡単な振り付けが大ブームを巻き起こしました。

聴いている人も一緒にマネできる【参加型ダンス】もヒデキが最初に行ったのだそうです。

 

芳村真理さんは、

「今でも彼が歌うと、みんな踊りだすんじゃないかと思う。」

「わかりやすかったということもあるし、あの動きが物凄くみんなの脳裏お刻まれているはず・・」

「まさにお茶の間とテレビが一体化できたことの功績っていうのはヒデキは物凄く大きかった。」

と語ります。

 

「ヤングマン」は確かに誰でも元気になり、マネして踊り出したくなりそうですよね。

この振り付けを考えたのは西城秀樹さんご本人。
「ヤングマン」をいう曲を渡されたらもう、自然にこう踊りたくなったんじゃないでしょうかね(^-^)v

 

最近だと、ピコ太郎さんの「PPAP」やオリエンタルラジオの「PERFECT HUMAN」とかが近いでしょうか・・。

 

【聴く】【踊る】【参加する】音楽を最初に作り上げた偉大なアーティストが「ヒデキ」なんですね。

 



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ヒデキが作った伝説と記録!

 

ヒデキが作ったのはテレビの歴史だけではなく、今となっては当たり前となったあらゆる手法の第一人者です。

こちらも順に見ていきましょう。

 

伝説① スタジアムでのソロコンサート

日本人初、野球場でワンマンコンサートを行ったのがヒデキです。

1974~83年まで大阪球場で毎年コンサートを開催し、歌い続けました。

 

これもマイクパフォーマンスのように会議とかで決まったんでしょうか。(勝手な妄想ですが)

「今度はもう野球場でやりましょうよ!イケますって!!」

てなカンジでしょうか^^;

でも当時としては大博打だったのではないでしょうかね~。

 

コンサートでクレーンを使ったのもヒデキが初めて!

ファンのより近くで歌う方法はないかと考えられたのがクレーンだったのですね。

やんちゃですね~。

 

更にはゴンドラに乗ったりバルーンに乗ったり・・!

スタジアムでのコンサートは規格外で度肝を抜くことばかりです。

スゴいですね(ΦωΦ)b

 

伝説② ペンライト

今ではライブに欠かすことができないペンライト。

意外なことにこれを発明したのも「ヒデキ」なんですね。

 

1974年の大阪球場のコンサートの前日、ラジオの番組で「懐中電灯を持ってきて」の呼びかけにファンが応えたことから生まれたのだそうです。

ということは世界初でもあるんでしょうかね??

 

また他にも舞台にレーザー光線を取り入れたのもヒデキ。

ヒデキがいなかったら今のような華やかなステージはなかったのかもしれません。

 

伝説③ 野外フェス

 

これもヒデキが初!

1975年、富士産麗の広大な空き地に1からステージを建設!

バスで全国から観客を運ぶという大イベントを成功させました。

野外フェスをスタートとする全国ツアーはのべ12万人を動員!!

 

・・もう何も言うことはありません。

 

本当に芳村真理さんの仰る通り、ヒデキは今の芸能界を作り上げたヒトなのですね。。

 

30年ぶりに涙の再開

 

意外なことに芳村真理さんは、西城秀樹さんに会うのは30年ぶりになるんですね。

この間も芳村真理さんは、井上順さんと30年ぶりの再開をしていましたが、芸能界というのは仕事でわかれてしまうと会う機会というのはなかなかないようです。

 

 

西城秀樹さんは、二度の脳梗塞で倒れています。

 

最初の異変は2003年韓国でのコンサート当日の朝で、体調不良を感じながらもステージにあがりましたが帰国後に検査を受けると軽度の脳梗塞と判明しました。

そして2011年、再び脳梗塞が再発。

命に別状はありませんでしたが、右半身に麻痺が残りました。

言葉にも後遺症が残っています。

 

 

そして芳村真理さんも、3年前にいきなり病院で動脈瘤と言われて驚いたのだそうです。

「どうして出来たんだろう・・」

「これからどうなるんだろう・・」

といろいろ悩まれたそうですが、病気になって気がついたことがあったのだそうです。

 

今回はその事を西城秀樹さんに伝えたくて再会を希望しました。

 

西城秀樹さんは、現在も闘病中なためテレビに出演することは断っているそうなのですが、今回は芳村真理さんがぜひにということで特別に実現しました。

 

とあるレコーディングスタジオで62歳となった西城秀樹さんと再会。

 

芳村真理さんは、西城秀樹さんのスタイルが昔と変わらず、カッコ良い!と喜んでいました。(脚が長いんですよね~ヒデキは☆)

西城秀樹さんも、芳村真理さんが現在82歳だと聞いて、「見えないよ、全然!」と驚いていました。

 

芳村真理さんは、80歳を前に病気になったことで、大変不安な思いをされたのですが、「よし!80歳から私やり直そう」と思ったのだそうです。

「そして気持ちを新たにしたらば、逆に今すごい元気になった」

 

「・・・だから病気っていうのはそういうことを一度考える機会にならない?」

 

と西城秀樹さんに語りかけます。

 

西城秀樹さんは、「うん、そうだね。」

と何度も頷いていました。

 

病気を受け止めたことで、前を向いていこうと思うようになったのですね。

 

芳村真理さんはずいぶん長い間、芸能界に現れませんでしたが、昨年くらいから何度となくテレビに出演するようになったのは、「80歳らやり直そう」という思いからだったんですね。

 

芳村真理さんは、西城秀樹さんを勇気づけ、思いを伝えたくて再会を果たしました。

そして「ヒデキ」なら出来ると信じているのです。

 

「ヒデキがスタジオに出ると、スタジオ中が明るくなったのを覚えている。」

と語っていました・・・。

 

 

 

おしまいに

西城秀樹さんは、昨年も年間70公演ものライブを行い、今年も精力的にライブ活動をしています。

やっぱりファンは離れていないんですね。
今でもスーパーアイドルです。

昔、カッコイイお兄さんの代名詞といえば西城秀樹さんでした。

これからもリハビリをしつつ、ステージでのご活躍をお祈りいたしております。

 

☆最後までお読み頂きありがとうございました。

⇒ 芳村真理は湘南で悠々自適^^元旦那ミッキー、息子や孫も芸能活動!





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