北の富士勝昭、家族子供を徹子に語る?体調不良は噂?語録オマケつき!





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『徹子の部屋』に北の富士勝昭さんが出演されますね!⇒ 11月4日(金)  12時00分~12時30分
現役時代から破天荒で型破り!「プレイボーイ横綱」「夜の帝王」などの異名をとった北の富士さんからどんなお話が聞けるのでしょう☆
【※この記事は現在作成中です】画像出典:http://sumououen.com/





北の富士勝昭さんプロフィール

 

名前:北の富士勝昭(きたのふじ かつあき)
本名:竹澤 勝昭
生年月日:1942年3月28日(74歳)
出身地:北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)
身長:185cm
体重:135kg
得意技:突っ張り 左四つ 上手投げ 外掛け
所属部屋:出羽海部屋→九重部屋

【出典:Wikipedia】

 

北の富士勝昭さんのご出身の北海道旭川市は、北海道のほぼ中央に位置する市で、北日本で第3番目の人口を有する都市です。

農業や酒造業も盛んで異名である、北の『灘』も知られています。

 

1954年のある日、故郷・留萌で大相撲の北海道巡業が行われていたので家族で見に行ったところ、恵まれた体格をした少年を見つけた横綱・千代の山さんから直々に「どうだ、相撲をやって、東京見物をしてみないか」声をかけられたそうです。
 
千代の山さんに声をかけられた事によって、勝昭さんは相撲に関心を持ち、中学卒業と同時に出羽海部屋に入門します。
 
1957年1月に初土俵を踏んだ北の富士勝昭さんは十両5場所目で、何と全勝優勝を飾っています。
 
実は、十両と幕内最高優勝の双方で、全勝優勝を経験しているのは、北の富士勝昭さんただ一人なのです。

 

また一方で相撲は左四つ右上手の本格派で、体はそれほど大きくありませんでしたが堅い左と外掛けを武器にする実力のある力士でした。
 

反面一度勢が失速すると負けが込む悪癖があり、全勝優勝の翌場所に8諸7敗にとどまり、その翌場所また全勝優勝するという珍記録を残したこともあります。

引用と参考:http://sumououen.com

 



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ご家族お子さんは?

 

北の富士勝昭さんのご家族の情報は極端に少ないです。

ただ若い頃は、「夜の帝王」「プレイボーイ横綱」など横綱らしからぬ異名をつけれれていたほどなので、ずいぶん遊んだのではないでしょうか(ΦωΦ)b

北の富士さんは離婚歴がありその後、元ホステスと再婚したと言われています。
奥様の詳細は分かりませんが、おそらく60歳くらいの方ではないかと推測されます。

お子さん情報も出回っていません。

11月4日(金)の『徹子の部屋』で少しでもお伺いできるといいですね。

追記:『徹子の部屋』では、ご家族のお話はありませんでしたm(_ _)m

 

それと北の富士勝昭さん、以前に 【体調不良説】があったようですね。

2012年の初場所で解説を休まれたことで体調不良なのでは?とネットで騒がれていました。

休まれた原因は未だにわかっていないのですが、季節柄「インフルエンザ」にかかったのでは?と
の説が有力なようです。

 

レコードも出している横綱

 

北の富士勝昭さんといえば現在はNHK専属の相撲解説者としておなじみですが、副業というかチャレンジ精神旺盛で、レコードを出して50万枚を売り上げたことがあります。

『ネオン無情』(1967年、テイチクレコード、SN-586) – シングル盤
『北の富士“艶歌”をうたう』(1967年、テイチクレコード) – LPレコード盤

【出典:Wikipedia】

 

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出典 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

他にも、現役時代からキャバレーやちゃんこ屋を経営したりもしています。

また有名な話ですが、サインを求められた際には、色紙には多くの力士が書くような、「努力」や「忍耐」と言った言葉は絶対に書かなかったとも言われています。

優等生なカンジは嫌いだったのかもしれませんね。

 

『徹子の部屋』では、「他人に厳しく自分に甘いw」とニガ笑いして仰っていました^^;

 

千代の富士さんについて

 

千代の富士さんの名前の由来は学生時代、北の富士勝昭さんを見出した横綱・千代の山さんと、ご自身の四股名、北の富士からきたものだったんですね。

それほどに大事に育て上げた愛弟子千代の富士さんでしたが、膵臓癌のため2016年7月31日、東京大学医学部附属病院にて61歳という若さで他界されてしまわれました。

弟子に先立たれるほど辛い事はないでしょう。

『徹子の部屋』でも千代の富士さんのことを仰っていました。

 

北の富士勝昭さんが、千代の富士さんを誘う時、

「飛行機に乗せてあげるよ、東京タワーを見せてやるから来ないか?」

などと言ったのは有名な話ですが、これは千代の富士さんだけの話ではなく、他の親方もたいていそんな誘い方をしていたようですね。

当の北の富士勝昭さんも千代の山さんに同じような感じで誘われているわけですから^^;

 

また、『徹子の部屋』では、千代の富士さんは相撲を取る時、仕切りから立合いまで絶対に相手から目を離さなかったと言っていましたね。

勝負なのだから、なるほどと思っていましたが、絶対に目を離さない力士は少数派なのだとか。

特に横綱に対しては失礼にあたるようで、なかなかできないことのようです。

千代の富士さんは、やはりとても気が強いのですね。

さすがウルフです!

 

北の富士さん語録

 

北の富士勝昭さんといえば相撲解説での名言とか語録が面白いですよね^^;
ちょっとだけまとめてみました。

 

・千代天山が引き技で敗北した際、「げんこつをあげたくなるくらい悪い相撲」と酷評。

「土佐ノ海は四つ相撲でもそれなりに取れるけど、北勝力は四つに組んだら何にもならない。自分から四つに組んでいるようにも見える。どうしようもないねぇ、こんなんじゃあ」

「まぁ、白鵬が負けるとは思えないですけどねぇ。何ならあれですか、坊主にでもしましょうか?」

・ある取組の終了後、その相撲についてアナウンサーから質問されたが、「ご、ごめん。ちょっ、ちょっとよく見てなかった!」と、解説者としてあるまじき発言^^;

「栃煌山は吊られっ放しじゃなくてもっと抵抗しないと!『シャケ』じゃないんだから…」「お歳暮の鮭でも、もうちょっと恰好よく釣られてるよ」

・248kgの山本山龍太が登場した際、13日目の豊ノ島大樹戦で機敏な動きに付いて行って勝利したことに対して「あれはただのデブじゃないと思いましたね」と発言。

「日馬富士はいま25歳? この間会った時、『27・8歳になったらもう少し体重が増えてくるよ』と言っておきましたよ。まぁ、何の根拠もないんですけどね。」

「日馬富士、待ったじゃなくて『しまった』だねえ~」

「まぁ、いまの大関達にはそれだけの価値がないってことですよね、弱いから」

「まんまとして、またやられたな、舞の海さん。明日は二人で床屋行くか?」と発言^^;

・千代大海は大関角番で2勝7敗だったが、まだ取組前にも関わらず「まぁ、こうして引導渡してくれるのが横綱でよかったんじゃないですか?」と言い放つ。

・琴欧洲の休場について「あってはいけないこと。這ってでも出て欲しい。勝ち名乗りの前なら間に合うから休場届を取り消して土俵に来てくれないか。」

 

やっぱり面白いですね北の富士勝昭さんは。
茶目っ気があるんですよね・・^^;

【向正面の舞の海さん】だとまたいいんですよね。

その上アナウンサ-が藤井康生さんだとゴ-ルデントリオと呼ばれています(^-^)v

 

おしまいに

北の富士勝昭さん輝かしい戦歴を記させて頂きます。

最高位:第52代横綱
生涯戦歴:786勝427敗69休(105場所)
幕内戦歴:592勝294敗62休(64場所)
優勝:幕内最高優勝10回  十両優勝1回
賞:殊勲賞2回 敢闘賞1回 技能賞3回

【出典:Wikipedia】

これからもお元気で面白い北の富士節の相撲解説を楽しみにしています☆

最後までお読み頂きありがとうございました。





Comment

  1. 波田純 より:

    北の富士さんの解説は面白いですからねー。
    元気で解説続けてもらいたいものですね!

    • negi より:

      コメントありがとうございます。
      北の富士勝昭さんの飾らない解説は本当に楽しいですね。
      向正面の舞の海さんとのからみがまたすてきです(*^^*

コメント

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