柳裕也進路は中日へ 父との約束を果たす!母への感謝グラブの刺繍とは


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プロ野球ドラフト会議が20日、東京都内のホテルで開かれ、注目の選手、柳裕也投手(明大)は2球団による抽選の結果、中日の森監督が交渉権をつかみました。
柳裕也さんは12歳の時に他界されたお父さんに「プロ野球になる」と約束しているのですが、ついにその約束を果たすスタートラインにつきました。画像出典:http://www.hochi.co.jp/





お父さんとの約束

 

2016年10月20日、「プロ野球ドラフト会議」が開催されました。

今年は10年に一度の豊作と言われるほど、優秀な選手が揃っていると言われています。

その中でも注目されていた柳裕也選手は中日の森監督が交渉権をつかみましたね。

柳裕也さん、お父さんとの約束を果たすスタートラインにつきました。

 

柳裕也さんは小学校6年生の時にお父さんを交通事故で亡くしています。

お父さんは野球経験者だったわけではないのですが、野球の入門書を見ながら教えてくれたのだそうです。

素振り用バットが必要とわかると、ホームセンターで木を買ってきて手製のバットを作り、裕也さんを喜ばせてくれたそうです。

 

お父さんが他界されたのはある日突然の出来事でした。

お母さんの薫さんはあまりのショックに泣いて過ごし、その当時のことをほとんど覚えてらっしゃらないそうです。

 

ところが裕也さんは涙を見せることはありませんでした。

裕也さんはお父さんから、「男はどんなに辛いことがあっても泣いてはいけない」と教わってきたのだそうです。

長男だった裕也さんは12歳にして立派に喪主を務め、その時に野球を教えてくれたお父さんに「プロ野球選手になる」と約束します。

 

それから10年、柳裕也さんはドラフト会議で見事、中日ドラゴンズに1位指名されました。

 

 

柳裕也選手プロフィール

 

名前:柳裕也(やなぎ・ゆうや)
生年月日:1994年4月22日
出身地:宮崎県都城市
身長:180cm
体重:80kg
学歴:小松原中学→横浜高校→明治大学
ポジション:投手
投打:右投右打
尊敬する人:渡辺元智、小倉清一郎、シニアの監督
家族:母 妹



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お母さんの支援

 

柳裕也さんは小学校3年生の時に地元の志比田スポーツ少年団に所属し野球をはじめ、小学校6年生の時には志比田スポーツ少年団は全国優勝を果たしましたが、その全国優勝から間もなくしてお父さんが他界されてしまいます。

その後は母子家庭で育ちました。

 

中学校に進学した裕也さんは学校の野球部ではなくシニアリーグのチーム「都城リトルシニア」に所属します。

シニアでは日本代表に選出され、少年野球全米選手権大会優勝に貢献、その大会で最も優れた投手である証の「サイ・ヤング賞」を受賞しています。

 

中学三年生ではどこの高校に進学するか悩んでいたそうです。

地元の強豪校からもの熱心な誘いがあったそうですが、裕也さんはより高い環境、自分自身が成長できる環境で野球をやりたいと思っていたそうです。

お父さんとの約束通り、プロを目指していたのでしょうね。

 

裕也さんは投手の育成が上手く、安定して好投手が育っている横浜高校に進学をしたいと思うようになります。

横浜高校には、裕也さんが憧れている松坂大輔投手や涌井秀章投手が在籍したことでも有名です。

 

しかし、裕也さんのご家庭は裕福というわけではありません。

お母さんさんのことを思いやり、なかなか言い出すことができなかったようですが、ある日意を決して、

「横浜高校に行っちゃダメだよね?」と、相談します。

無理をさせてしまうのは承知でのことでした。

 

お母さんの薫さんは、「自分の進みたい方へ進みなさい」と許してくれたそうです。

 

裕也さんは、中学校を卒業すると地元宮崎を離れ、野球名門校、横浜高校へ進学することになりました。

 

家族とお別れの日、裕也さんは泣いて見送るお母さんを残し家を出ることになりますが、家から見えなくなったところで一人泣いたそうです。

裕也さんがたった一度お父さんとの約束を破った日でした。

 

横浜高校時代には1年生の夏からベンチ入りするなど、順調に結果を残していく訳ですが、女手一つで育ててくれ、横浜高校に送り出してくれた母への感謝の気持ちを忘れてはいませんでした。

裕也さんは横浜高校時代、自身のグローブに「母への恩返し」と刺繍を入れ、日々、育ててくれた母への感謝の気持ちを忘れないようにしていたそうです。

2年生の夏にはエースナンバー1を背負い活躍。春夏合わせて3度の甲子園出場を果たします。

 

高校3年生でもエースとして活躍。春のセンバツはベスト8。

しかし夏の甲子園は県大会ベスト8で敗退し、甲子園へ出場することはできませんでした。

 

大学からドラフトへ

 

柳裕也さんは高校を卒業すると、プロ志望届は出さず明治大学進学を決意します。

 

当時の横浜高校の元部長、小倉清一郎さんは学費や寮費などお金の問題から、明治大学進学に反対し、特待生として授業料などが免除される日体大を勧めたそうですが、柳裕也選手は「六大学の舞台に立ち、お母さんに神宮で活躍する姿を見せたい」という強い想いから明治大学に進学します。

 

1年生の春から少しずつ試合に出て、2年生の秋からは先発投手を任せられるようになります。

そして川上憲伸さん以来19年ぶりとなる投手での主将就任、第40回日米大学野球選手権に大会において、侍ジャパン大学代表として2大会連続18度目の優勝に貢献します。

 

柳裕也選手は怪我はしないし人間性も申し分なく、投手として完成度は抜群で、今年のドラフト候補の中で総合力はナンバー1と言わせるほどの選手として成長しました。

 

そして、今年10月6日、巨人の球団事務所で行なわれたスカウト会議では、今年のドラフト1位指名候補、6人の内の一人に選ばれました。

 

10月20日行われた「プロ野球ドラフト会議」では、田中正義投手に次ぎ柳裕也投手は、中日ドラゴンズと横浜DeNAベイスターズ2チームが競合、抽選となります。

結果、交渉権を獲得したのは中日ドラゴンズでした。

 

柳裕也選手は、見事お父さんとの約束を果たしつつあります・・

 

 

最後に

プロ野球ドラフト会議において中日ドラゴンズより1巡目指名を受けた柳裕也投手は、これからいよいよプロ野球の道に進みます。

ぜひお父さんとの約束通り大活躍してお母さんへの恩返しを実現していって欲しいですね。






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